2013年1月22日火曜日

自分はセンターに居て、相手とつながる

先日キネシオロジーの練習会で、
大きな学びの体感を得ました。

ロスアンゼルスの本間deepゼミで
共にキネシオロジーを学んだ仲間に
このときはIHキネシの練習相手になってもらっていました。

でも、ブロッキングなのかなんなのか、
最初全然上手く筋反射をとることができません。
私は、受けてくれているKちゃんが、
無意識に私をブロックしているのかと思ったのだけれど、
Kちゃんは
「私は開放している。ようこちゃんの方から、来てない感じがある」
と言う。続けて
「私と、つながろうとしてみて」とアドバイスをくれたので、
心を鎮めて、こんにちは、よろしくおねがいします、という
謙虚な気持ちをエネルギー的に伝えるイメージを持ってみたら、
ほぼお互い同時に「つながった」のがわかりました。

それから、筋肉反射がとれ始めました。
Kちゃんのからだの叡智が?スピリットが?潜在意識が?
反応をくれているのがわかりました。


整体時代からわかっていたつもりだったし、
そのように心がけていたつもりだったけれど、
どうしても緊張したり焦ったり、
「どこが悪いの」と聞かれるから一生懸命探したり(笑)。
でもこれは何度でも要再確認の大事な大原則!

  施術時のスタンスとして絶対必要なのは、
  相手のエネルギーとつながること。
  相手の生命と一体となること。
  かつ自分はセンターにいること。


気の経絡指圧の、遠藤喨及(りょうきゅう)氏は
著書「気の経絡指圧法 安らぎのツボ 実技篇」 の中で、

「経絡を認識し治療する心とは何か?
それは一口に言えば共感の心である。
他者の「命の感覚」を想像する心である。 」

また著書「タオ、気のからだを癒す」の中でも

「他の生命への共感性が増すからといって、
自我が無くなってしまうわけではない。
明確な自我意識を持ちながら、意識の根底にある、
一切と一体となっている世界を感じているのである。」


さらに、マ・サガブリヤ氏の著書
「サイキック・マッサージ 心と体と魂にはたらきかけるボディワーク」
によれば、

「身体と身体が触れるために(エネルギーの)交感が起こるのではありません。
それよりもむしろ、あなたが自分自身の内側にとどまり、
そこに相手の存在を見いだすことによって、相手につながるのです。
交感とは、ふたりのあいだで起こることではなく、
ふたりがひとつになることなのです。」


センターに居て、相手とつながる。
そうこれ、これを学んだわけです。

整体時代は、そうは思ってもこれが難しかったのです。
なぜなら、どこが問題なのかを探してしまうから。

片山洋次郎氏は著書「整体。共鳴から始まる」で、

「気的に「整体」するという場面でいえば、
理想的には互いに共鳴してゆくことによって、
双方の共鳴の障害になっている部分が融解して、
全身の中の共鳴的な部分に素直に変わってゆくということだが、
そういつもうまくいくわけではない。
私の側の問題で言えば、相手の「悪い所」を探そうとしてしまう
ということがある。
そのことに集中してしまうと分析的立場で相手を観てしまうことになるので、
そのこと自体が共鳴の障害になってしまう。
相手の「何か」が見えるという感覚は完全な共鳴状態から見れば、
自他分離の二元的状態へのズレを意味している。 」

と述べられているとおり、
どうしても、何が相手の体の中で障害となっているかを
探して対処する、というスタンスになってしまっていました。
施術側としては、楽になって欲しい!という願いがあるので、
つらいところなのであります。

それでも、
共鳴しているときの、深いところで相手に触れさせてもらっている、
膝を折って祈りたくなるような、あれはなんだろう、
感謝…?すごく謙虚な気持ちで、相手に体する?静かな感動というのか…
身体への讃歌、生命への讃歌、とか…?
言葉では難しいのだけど、
ああ、これだ、こういうふうにするんだ、と
諒解した感じがあります。


整体をするときも、
トリートメントをするときも、
キネシオロジーをするときも、
この感じを相手と共有できたら幸せ!

Kちゃん、素晴らしい体験をありがとう〜!!




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